猛暑対策に「発泡ウレタンフォーム断熱」

断熱と言ったら言葉の通り熱を遮断するものと思っている方も多いと思います。

おっしゃるとおりです。

ただ、2階の部屋がやたら暑い。断熱してないから断熱しよう。と、そのためだけに工事するのは
もったいないです。

発泡ウレタンには他にもいいことがたくさんあります!

 1.「高気密・高断熱」で温熱環境のバリアフリー、家中いつでもどこでも快適空間
 2.健康被害をもたらす「結露」を抑え、ダニ、カビ、シロアリを寄せ付けない「防蟻効果」絶大
 3.省エネルギーで快適&経済的、人にも環境にも優しい住まい
 4.優れた気密性で音漏れのない静かな生活環境を維持
 5.断熱・気密性の劣化がなく、長期にわたる快適な暮らしを維持

これらの品質を確保するためには施工技術が伴います。
ただ付いていればいい。のではなく、あらゆる隙間を埋め密接していないと意味がありません。
そんな技術を持つ「職人さんの腕」が重要になってきます。

30年以上の実績を誇る、断熱のことならユウフォームにお任せください!

ご相談も無料で受け付けております。

今から猛暑対策

夏の始まりを感じる今日この頃、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?
今年の夏も猛暑日が多く続きそうですね。。

はっきり言って、夏が来る前にしっかりと対策するべきです。
お部屋の温度・湿度を快適な空間に保つには・・・

やはり『断熱』

今や標準装備となってきていますが、断熱の種類もいくつかあるのでどの断熱材を選ぶかが大切です。

日本家屋の夏対策

木造家屋の屋根といえば瓦がイメージされますが、

瓦屋根よりもさらに歴史が古いのが茅葺屋根です。

茅葺屋根はススキやヨシなどの草を乾燥させたものを重ねることでできているため

通気性に優れ、熱気を外に逃がします。

さらに、熱吸収効果を持っているため「断熱性能」も高かったのです。

また、水の気化熱を利用して室内の気温を下げる機能が備えられているといわれています。

梅雨の時期に屋根の中に雨水をため込み、夏の日差しや熱によって

蒸発させることで室内の温度を下げているのです。

障子と襖(ふすま)

伝統的な日本の家屋内の風通しで重要な役割を持ち、部屋と部屋を隔てる間仕切りの役をしているのが
障子や襖です。
高温多湿な日本にとって重要な機能を果たしています。

全て開け放てば風の通り道ができ、熱や湿気を逃がす効果があります。
開けたり閉めたりと風通しを変化させることで、室内温度を調整する機能があるというわけです。

障子は和紙を通して採光ができるので外に面した部屋に、
襖は室内の部屋同士の仕切りに使われます。
また障子や襖だけでなく屋根裏や床下などにも通風口が設けられるなど、
家中に風を通すための工夫が設けられていました。

縁側と庇(ひさし)のお話

縁側は和室と屋外との間に設けられた板張り状の通路を指します。
新築の家でも縁側が取り入れられたり、「縁側カフェ」ができたりと、再び魅力が見直されています。

居室と屋外の間に縁側があることにより、そこが緩衝地帯となって室温を一定の温度に保つ効果があるのです。

また、縁側の上にある「軒」(のき)とも呼ばれる屋根の庇(ひさし)が縁側の上に張り出しており、
夏の直射日光が部屋に入るのを防ぐ効果があります。

昔の人はより日光を遮るために、すだれも活用していました。
他にも庇は木材を雨や日差しによる劣化から守る役割も果たしているといわれています。

現代の建築

現代の住宅は、以下のようなものが標準搭載されるようになりました。
 ①構造計算(許容応力度計算)、②ZEH、③耐震等級3
ただ住めればいいという住宅から、「快適で、安全に住める住宅」に進化しているのです。
また、最近では、IOT(モノのインターネット)、スマートハウス「創る」「蓄える」「省エネする」、
お年寄りからお子さままで、すべての人がより安心して快適に暮らせる生活に変わりつつあります。

利便性・安全性・快適性 に重点置いたお家が、手の届く価格でお届けできるよう頑張ります!

昭和時代の建築

茶の間を中心とした畳の生活と、絨毯がひかれた洋間が両立している住宅が流行りました。
新しさと古さ、西洋と日本古来の住宅様式の融合をコンセプトにつくられた住宅が多かったようです。
いわゆる、和洋折衷建築という和風建築と洋風建築の要素を取り入れた住宅になります。

また、日本古来の住宅にはなかった「廊下」も、この頃にできました。
従来では部屋同士が接しているため、特定の部屋に行くためには別の部屋を通らないと行けない間取りでした。
「廊下」が加わることで、別の部屋を通っていく必要がなくなり、プライバシーを尊重することができるようになりました。

このようにして、1歩1歩確実に暮らしが進化しています。
さらに、高度経済成長を迎えたということもあり、マイホームを建てる人が急増しました。

大正時代の建築

1923年9月、関東大震災(推定10万5,000人もの被害者が確認された大災害です)
関東大震災を境に住宅の構造が見直しされることになりました。

今でこそ耐震等級3が標準搭載されていますが、当時はそのようなものもありませんでした。
そんな背景もあり、当時の人たちは鉄筋コンクリートに目をつけ、鉄筋コンクリート住宅が続々と増えていましたね。

明治時代の暮らし

開国により国外からの移住者が増加したこともあり、徐々に西洋の文化が普及していきました。

仕事は農業から商業に変化したり、食文化も洋風のもの変わったりと、生活様式の西洋化が連鎖的に起きていきました。

建築の技術においても西洋の技術を取り入れていき、絨毯を敷いた応接間などをはじめとした洋風の住宅が広まるようになっていったそうです。

江戸時代の暮らし

日本人の大半が農民で、小屋や納屋に住んでおり、広さは1間が一般的でした。

また、武士は武家屋敷という書院造を基本とした住宅に住んでいました。
書院造とは、一般的に商事や襖、棚や床の間のある座敷のことです。

当時は約8割が農民だったので、大半の庶民が家を持てなかったそうです。